
24.APR.2006 激悪路ヒッチハイク


Luang namtha →→→ Huaixay

ラオスを出る日が来た。
タイ⇔ラオスの国境の町、フェサイに向かうため、
ルアンナムター発フェサイ行のマイクロバスに、乗り込んだ。
乗客は 6人。
15歳の女の子、オーンと話しながら、
バスは昼までは順調に動いていた。
昼休憩を終え、少し走ると、車体全体に強い衝撃が走った。
何ごとか・・・
外に出て見てみると、車の下からガソリンが漏れていた。
道の真ん中にあったデカい石で、タンクを擦ったらしい。
ドライバーが修理に取り掛かる。
その間、乗客みんなで小さな小川で遊んだり、スイカを食べたりと、のんびり車の回復を待っていた。
しかし、車はいつまで経っても回復しなかった。
「車、壊れた。」
と、オーンが一言。
「え? じゃ、どーするの?」
あたしが聞き返すと、
「通るトラックとかに乗り換えないと、ダメかも。」
オーンが答えた。
ヒッチハイク、ですか・・・
乗客全員で、とりあえず近場の小屋まで歩いた。
一台の大きなけん引トラックが通りかかり、まずオーンとオーンの兄が乗り込み、その場を発った。
次に、ユーロユニオンの印を付けた4WDの車が通りかかった。
あたし、イナ、バスドライバーで、その車をヒッチすることになった。
まるでジャングルの中を走りそうな、その車。
とても速いスピードで、舗装されてない凸凹道を、ぶっとばす。
何かのアトラクションに乗ってるようだ・・・
20回くらい、お尻が浮いた。
この車でフェサイまで行くのかと思えば、そうではなかった。
行き先が違うのだろう。
次に、大きなけん引トラックに乗り込んだ。
バックパックは外に積まれ、
あたしたちは運転席の後ろスペースに、体育座りするかたちで座り込んだ。

先ほどのユーロユニオンの車とは違い、とても遅い。
遅いぶん、揺れも少ないだろうと思っていたら、そんなことはなく。
運転席まで転がり飛び出しそうな衝撃を、何度も受けた。
やっと少し町っぽいところに出た。
フェサイの少し手前のようだ。
最後はトゥクトゥクに乗り換え、国境まで走った。
もう、体中の体液と内臓がシェイクされた感じで、
体力の限界だった。
しかし、国境に着いた時間は、まだタイ側に渡れる時間。
最後の体力を振り絞り、赤土で真っ赤に汚れたバックパックを背負い、タイ側の国境の町チェンコーンまで、渡し舟で渡ることにした。
約7時間に及ぶ、激悪路の旅。
次ラオスに来るとき
もうこのルートは絶対使わないだろう
確かな確信が芽生えた。


23.APR.2006 タイダム族の村

機織りをしている少女がいた。
木を組み合わせて作った旧式の機織り機で、綺麗なストライプの布を織っていた。

長女が機織りをし、
次女がそれを売りに行く。
三女は赤ちゃん長男の世話をする。

姉妹で、何やら棒と小石を使った遊びをしていた。
まず石を上に投げ、その石が落ちてくる間に、床に置いている棒を一本取り、落ちてきた石をうまくキャッチする。
同じ要領で、2本、3本と、取る棒の数を増やしていく。
一緒にやらしてもらったが、これが結構難しい。
この村には、笑顔があり、笑い声があった。
町から徒歩ほんの10分の、村。
もうすぐテレビが見れるようになるそうだ。

22.APR.2006 笑わない子どもたち


村のレンタサイクルで自転車を借り、
同じ宿で出会った、シンセン、南京と一緒に、山岳民族の村を訪れた。
広大な景色、山と田んぼしか見えない道。
小さな川を渡り、アップダウンの激しい山道を、約二時間。
小さなアカ族の村があった。
この時は、勝手ながらもあたしたちは、カシーやウドムサイで出会った村人たちのように、暖かい、人懐こい人たちとの、素敵な出会いがあるかもしれないと、思っていた。
村の入り口に到着した。
家からたくさんの人たちが出てきた。
手を差し出し、何かを要求してきた。
シンセンと南京が、お菓子を持っていた。
村人たちは、我先にと手を伸ばし、そのお菓子に群がってきた。
奪い取るようにお菓子を貪り、無くなると、村人たちはすぐに自分の家に去っていった。
このお菓子は、まるで村に入るための入場料のようだった。
村に入り、小さな道を歩いていると、子どもたちが後ろをついて来た。

了解を得て写真を撮ると、みんな周りに集まってきた。
画像が見たいのかと思ったが、そうではなかった。
シンセンが持っていた飴が、欲しかっただけだった。
飴をあげても 何も言わない。
すぐに袋を開けて口に放り込むと、逃げるようにその場から、去った。
その子ども達には、笑顔がなかった。
村には 笑い声がなかった。
外から来る人=食べ物を持ってくる人
これが、この村には定着しているようだった。
町から遠く離れた村の、現状だった。
あたしたちは高台から、ぼんやり村を眺めていた。
ここの子どもたち、そして、日本の子どもたちのことを、考えていた。
日本はほんとうに 裕福だ。
あたしたちは、何か、何とも言えない寂しさと悲しさと、後ろめたい気持ちで、村を後にした。
この村で子ども達の笑顔を見ることは、一度も無かった。


21.APR.2006 朝日浴びるマーケットで

朝6時、村の市場へ行ってみた。
朝早くから、たくさんの人が開店準備をしている。
昼間に見た時とは別の市場のように、商品で台が埋まっていた。


早起きで、眠そうだ。
7時になると客も増え、市場全体が活気付く。

こっちきて買わねぇか、そんな感じで話しかけられる。

山から下りてきて、野菜を売る山岳民族も多い。

みかん チェリー バナナ プラム スイカ
トマト 香菜 たけのこ など。
揚げパンや揚げスイートポテトも おいしい。
ぼったくられないよう、まずは地元の人が買う値段を見て、相場を計る。

蛙は鶏肉よりも、高級肉。
魚と鶏肉の間のような味がして、おいしい。

ぴぎゃー! と
今にも叫びだしそうなこの物体は、なんだろう?
怖くて食べれなかった。

19.APR.2006 小さな国境の村

Muang Sin

中国とラオスの国境の村、ムアンシン。
ウドムサイからルアンナムターまでバスに乗り、
ルアンナムターで、トラックの荷台に屋根と椅子が付いているバス・ソンテウに乗り換える。
ゴトゴト ゴトゴト
山岳民族たちを乗せ、ソンテウは細い山道を行く。
一応舗装されてはいるが、かなりのガタガタ道。
道沿いの所々に山岳民族の集落がある。
ソンテウに揺られて約3時間、小さな国境の村ムアンシンに到着する。

とても静かな村で、小さなメイン通りには、中国系の古びたレストランや売店も並んでいる。
メイン通り以外はすべて、赤土の道。
その道を、いろんな動物が歩いている。

バッファローや

子ぶたたち。
犬と 猫と 鳥と 牛と バッファローと 豚が
みんなお友だち。
ムアンシンは そんな感じの村。
